リンゴ日和

シロクマが好きな学生が書いています。

ぼくと未来の見つめ方

忙しくて久しく書けてませんでしたが、今回は「未来の見つめ方」というテーマで書いていきます。

 

未来、自分の未来や自分の住んでいる場所の未来を想像したことはありますか?

僕は大学に入るまで漠然とした就きたい職業はありましたが、それ以外考えたこともありませんでした。

10年後、20年後自分がどんな環境でどんな生活を送っていてどんな人と一緒にいるのか。

そんなことを考えるきっかけになればと思います。

 

まず未来を考える前に、未来というものについて少し考え直してみましょう。

未来とは、出来事(僕でいうところの物語)の積み重ねであり、最新刊のようなものだと考えています。

例えば、皆さん未来を想像されるときに歳をとった自分が出てくると思いますが、当たり前ですがいきなり歳をとったりしません。

10年後なら10年の出来事が積み重なって十年後という未来が出来るんですね。また、未来の先もずっと続いていきます。時間は流れであり、止まることはありません。なので、未来を見つめるときもその前と後ろをしっかり考えることが重要です。

(建物や植栽、ひいてはまちも完成したときが最高でどんどん老朽化するんじゃなくて、どんどん積み重なっていく物語によって輝きを増すものを作りたいですよね。)

 

さて、未来が出来事の積み重ねであることをお話しましたが、更にいうと皆さんが社会(※1)で生きていることを考えると、皆さんのことだけを考えても仕方ありません。皆さんを取り巻く環境も皆さんの未来には存在しますし、同様に時間を積み重ねてきます。未来は個人ではなく様々な人やモノの物語の積み重ねで構成されてるんですね。

最近はスマホなどが普及して、個人化が進んでいますが、情報通信技術を使って遠くの人とつながることも出来るようになりました。

10年後、あなたは物理的にかかわらずどんな人たちに囲まれているでしょう?

また、関わることがなかったとしてもあなたと同じ社会に生きている人たちはどんな人たちでしょうか。

 

さらに、目に見える以外のものにも目を向けましょう。前の2つに包含されていなくもないですが、目に見えない文化や世相みたいなものも改めて考えてみましょう。

僕の知り合いの中には「社会」を生き物のように捉える人がいます。自分とは関係のない生き物のように「今社会ではこういうことが叫ばれているのか」みたいに考えるようです。

でも、面白いことに(もしくは呆気ないほどつまらないことに)ふたを開けてみると社会は人の集まりです。モノや目に見えないものが取り巻いてはいますが、本質は人間の集まりだと思います。

さながら、獅子舞の被り物を取るように、もしくは綱引きの「オーエス!」の掛け声に自分の声が混じっていたことを自覚するように社会というものがもう少しだけリアルに見えたら嬉しいです。そう言っておきながら、何億もいる人間の集まりをハッキリと捉えきるのは無理だと補足しておきます。

話がずれましたが、目に見えないものですね。

どんな文化が残ってるんでしょうね。

どんな人がどんなことを考え、どんな世論として現れるんでしょうか。

若い皆さんは、自分が年老いた後のことを考えたことはあるでしょうか。

人口減少が進む今、僕たちの老後はどうなるんでしょうか。もっと言うと僕たちがどうすれば素敵な未来がつくれるんでしょうか。

日々を生きることに必死だと、ついそう言ったことを忘れがちです。一年に一度でも、自分がどういうところまでやってきて、これからどこに向かいたいかみたいなことを考える時間をとりたいですね。

 

ぼやぼやとした終わり方になってしまいましたが、是非皆さん考えてみて下さい。

もし、嫌な未来が見えたり思い付かなかったりしたら、どうやったら素敵な未来が出来るか一緒に考えましょう?

 

割と考え方とか価値観みたいなものを書きすぎてそろそろ「そんなの綺麗事だ!」的な話もありそうなので、次はどこかで僕の今まで積み重ねてきた出来事にも触れられたらと思います。