ぼくとかかわり方と相互作用
気づいたら7月です。大学院に入って3ヶ月が過ぎました。
個人としても、動かしているプロジェクトとしても、研究チームとしても、法人としてもいろいろと大きな変化があった三ヶ月だったと思います。
その分、学びも多くあったので今までに書いた記事のアップデートとかも行いたいなぁと思いつつも、忙しくて手が出せない状況。忙しいって言葉、自分の計画性のなさや効率の悪さが露呈するのであまり使いたくないですが、反面できていない状況をとりあえず受け入れるいい口実になったりするので、あわあわしているときは使ってしまいます。
ちなみに、珍しく書いているのは課題で英語論文(※1)を読んでいるのですがあまりに眠すぎて眠気覚まし兼息抜きという背景があったりします。
そんなことはおいておいて、何を書こうかぼやっと考えた結果、最近考えに考えている「人とのかかわり方」について少し触れてみたいなと思いましたのでそんな感じの内容を書きます。
考え始めたきっかけは、いつもの如く「人ってどうやったらわくわくして人生を過ごせるのか」みたいなことを考えていたときに、友達から「ワクワクしている人で囲ってしまえば、ワクワクするんじゃないかな?」と言われたことが始まりです。
ちょうどその時、社会のことを扱った研究をしているのに社会学の基礎知識がなさ過ぎることに危機感を抱いて勉強を始めていたときでしたので、社会学の概念である「相互作用」が頭に浮かびました。
まだまだ勉強不足ですので、詳しい説明はしませんがお互いが影響を及ぼしているという立場に立つのならば、そういった方法は有りかもしれないと思う一方で、影響を受けるときと受けないときが存在していることも実感として持っていました。
そこで、とりあえずその条件とかにかかわらず、「人とのかかわり方」について考え直してみようと思い立ったのでした。
まずは、西村さんの著書である「かかわり方の学び方」を読み始めました。ざっくりと紹介するとワークショップの中でファシリテーターと呼ばれる人にお話を伺い、"ファシリテーター"には何が必要なのかを考えるといった内容です。読んだ結果としては、とにかくモヤモヤしました。そしてこれは成長と共に読み返すことで暗黙知を知識に変えるための本なのでは?と思うような本でした。得られたことは、様々なかかわり方があり、それを環境、状況、場の特性、人間性などを考えながら変化させていくものであり、自分にあったかたちをつくるものなのかもしれないというとっても抽象的な答えでした。
次に、金田さんが東北で行った「カフェ・デ・モンク」での気付きをベースに書かれた「傾聴のコツ」を読んでみました。これは関わるという主体的な行為というより、向き合うといったもう少し受動的な行為だと感じました。傾聴において大切なのは、相手を中心に据えること、誠実であること、自分のコンディションを万全にしておくことなのかもしれないと思う一冊でした。
一番最近に、パターン・ランゲージを使ってまとめられた「対話のことば」を読みました。これは、関わることでもあり、受け入れることでもあるような割と中間的な立場のものかなと思う内容でした。上のような内容に加えて、相手の世界を理解するなどより概念的な言葉で書かれていたように感じます。あとは、解決を目指すという意味で言えば傾聴との違いと言えると思いました。
ここまで読んできて、少しは進んでいるような気もしますが、未だに答えが出た感は無いのでこれからも考え続けていくテーマなんだろうと思います。
おまけという訳では無いですが、社会学で有名なゲオルグ・ジンメルについて学んでいたらジンメルのいう「配慮」の考え方がとても考えているかかわり方に影響しそうだと感じました。
菅野先生がまとめられた訳が個人的に好きでしたのでそこから。
−つまり配慮しあうということは、<私から見えるあなたは決してあなたそのものではないでしょうが、そのことを十分踏まえて私はあなたの人格の全体性を尊重します。ですからあなたにもそのように接してほしいです。>という相互的関係を意味しているのだ。−
菅野仁, 2003, 『ジンメル・つながりの哲学』, p.144より
つまり、相手のことを完全に理解することはできないが、それを踏まえた上で相手のすべてを尊重するということが配慮だと言っています。
人間関係においては、自分から見える相手の像をすべてだと思って、それ以外の部分が見えたことで「変わってしまった」とか「そういうやつだったのか」といった落胆を示す人がいます。しかし、これを考えるともともとそれは当たり前で、相手のすべてを理解しているというのは思い上がりでしかないのがわかります。
自分にも心当たりが有りまくるのでとてもグサグサくる理解でしたが、今後はとても気をつけようと思いました(笑)。
少しそれてしまいましたが、今現在の理解としては
- 相手を理解しようとすることは重要(しかし、全てをわかることはなく、自分ではなく相手の目線で理解することが必要)
- これといった型はなく、関係する要素を鑑みながらデザインしていく(もしくは流れによって生まれていく)
- 自分の立場を何処に置くかによってコミュニケーションのかたちは大きく変わる
あたりでしょうか。
現状報告を散りばめた散文になってしましたが、そろそろ作業に戻りますのでここまでにしようと思います。
これを読んで、面白そうだから話してみたいやご意見など有りましたら、気軽にお声がけください。
それでは。(あまりに文章が雑なのでまた時間があるときに直したいと思います)